独・ノイマンの初期研究では「ハードコア」と「アバンギャルド」という言葉が登場する。
「ハードコア」は、自分の意見を強固に確信、制裁を恐れず、多数派に対しても彼らの意見を発信する人々、「アバンギャルド」は、伝統的な意見を持ち続ける多数派に対して、新しい意見を提出する人々と定義している。私はこの2つを合わせてアンダーグラウンドと呼んでいる。私の中でのアンダーグラウンドとは地上で明らかにされることなく、常に「白紙の暗闇(Objectivity and Justice)」の中に能動的な実験体として存在しており、半合法とアノニマスの原則により、生命持続のための無名・無評価活動を行なう。地下活動もアノニマスも、この地球上では長い歴史を有する。そのほとんどが独裁政治や侵略戦争の影で命がけで生き抜いてきた経緯を持つ。
独・コミヌスティスチェン・マヌフェストやカピタルではこう示唆している。制作・表現・創作・伝達者らが真に自由を得るには、オリジナルの具体的制作手段を発見・取得・所有・生成しなければならない。その問題を通過してはじめて自分の著作物だと宣言でき、自らの生命を守る個人もしくは地域共同体での経済活動と生活を一体化する事ができる。(一部筆者による現代語訳化部分有)
この方法論は、市民組織(NPO/NGO)やプロボノなどとも意識共有しうる問題かもしれない。自分で発表するもの全てを自分の手段で作るというのは、歴史的にみると前時代に戻るような印象もあるが、実は私たちは(例えば日本では)極度の封建制・近代化・大きな戦争、ナチズム・三国同盟下での生活、4度にわたる被曝などの伝承や経験を持ち、さらに国外を見れば、世界不況、南北戦争後の企業主義合法化(コーポレーショ二ズム)の目撃など、様々な苦境の経験が存在する。
それらの上に立脚する実践は、より柔軟な考察と、新しい未来に繋がる希望を持っていると考える。私の心の中では、以前よりも強固な形で、個人主義=一つのアソシエーション、アソシエーション:協同こそが、地球に優しい地球民の非営利集合体を築くという新しい規範と、それに伴う民際を超えた地際的意識が育まれており、様々な分野での理論にも裏付けされ、それらの信念は生涯揺るぎそうもない。