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ĉielo,stelo,kosmo,kaj paco.Japaniode. bildo kaj animacio.Imagemo kaj animo. movbildo,desegnofilmo, animigas,animaciisto, animita,abstrakta... ■アニモ・ビルド:animo bildo(モブビルドmov bildo)、アニマツィーオ/アニマシオン、リベラメーション :Liberamation。競争・利権・資本経済のための映像・アニメーションよりも生きるための映像・アニメーションを。学習・研究・情報共有目的により運営しています。少しでも幅広いコミュニケーションと一般の方への情報公開の一助になれれば幸いです。 ※このweblogは、主に文化学院(総合デザインコース/アートデザインコース・デザイン専攻)講師(当時)の原田管理による非公式な記録帳でしたが、2013年3月、廃科に伴い、邦題と管理方針を変更いたしました。 ●お問い合わせは、管理人: minosiwa★yahoo.co.jp(★を@にして下さい)まで。 ********************* (常に確認) ●東京電力・ふくいちライブカメラ ●JNN福島第一原発情報カメラ(LIVE) ●デモ・抗議開催情報まとめ (市民団体・連絡組織) ●Goodbye to Nuclear Power Plants ●Anti ACTA Japan ●Open Internet Web ●earth garden ●一般社団法人NPJ ●国際協力NGO シャプラニール ●Goodbye to Nuclear Power Plants ●NPO法人 TCG ●NPO法人・アニマルライツセンター ●NO FUR 毛皮はいらない ●国際環境NGO・Greenpeace ●NPO法人・原子力資料情報室 ●project99 ●イーココロ! ●エココロ ●NPO法人・市民科学研究室 ●食の安全・監視市民委員会 ●特定非営利活動法人・ヒューマンライツ・ナウ ●パレスチナ情報センター ●明日の自由を守る若手弁護士の会 ●犬、猫、里親さがし掲示板 いつでも里親募集中 ●チョウタリの家 ●ナマケモノ倶楽部 ●特定非営利活動法人APLA ●のりこえねっと (ガイドライン) ●NHKと日本民間放送連盟によるアニメーション等の映像手法について ●テレビ東京によるアニメ番組の映像効果に関する製作ガイドライン ●放送コンテンツの製作取引適正化に関するガイドライン (独立メディア) ●特定非営利活動法人・OurPlanet-TV ●IWJ Independent Web Journal ●週刊金曜日 ●fotgazet ●8bit news ●IWJ・English 3.11 chronicle ●Democracy Now! ●Democracynow Youtube ●OliveLanguage ●Videonewscom (天気予報) ●Meteocentrale.ch (映像・アニメーション) ●Makemovies.co.uk ●Indie-animation.com (学校・教育) ●首都圏大学非常勤講師組合 ●文化学院アートデザインコース・デザイン専攻、総合デザインコースオリジナルサイト ●文化学院:クリエイティブメディアセンター ●文化学院:総合サイト ●武蔵野美術大学 ●武蔵野美術大学・映像学科 ●文化学院同窓会《アーチの集い》 ●文化学院を愛する会 ●武蔵野美術学園アニメコース・ツイッター ●映画美学校 ●明治大学博物館 ●アテネフランセ文化センター (授業関連) ●人形作りワークショップの記録 ●授業用資料庫(関係者のみ) ●アニメーション特講(学生・教員専用) (機材マニュアル) ●Canon PowerShot A80機種仕様 ●Canon PowerShot A80マニュアルPDF (音楽ページ) ●♪もんじゅ君音頭 ●Farewell, Monju The FBR ●原発なくたって ●原発なくたって(国会前) (Esperanto) ●Animacio eo.wikipedia ●音声ガイド ●発音記号とPC表示ガイド (災害・地震情報) ●twitter ライフライン ●気象庁・地震情報 ●Japan Earthquakes ●麒麟地震研究所 (憲法・法律・国際条約) ●世界人権宣言 ●日本国憲法 ●著作権法 ●放送法 (そのほか) ●放射能汚染されていない食べ物【安心】まとめ ●wikibooks ●ナノハナ:nanohana ●放射能汚染から子供を守ろう・Save Child ●ShippoTV ●WaMemomu ●Kosmo-Cosmos ●erey_87 ●Journey to the third planet ●catmap ●pogue のキッチン 画像一覧
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・フィールドワーク花岡事件―学び・調べ・考えよう
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC/dp/4894880512 情報があふれているといわれるインターネットでも、ほとんど情報がでこないが、6月30日、秋田県大館市花岡町・信正寺で「花岡事件68周年中国殉難烈士慰霊祭」(主催:花岡の地 日中不再戦友好碑をまもる会)が行なわれたという。 花岡事件は、戦争中の中国人強制連行事件の一つで、当時の花岡鉱山下請企業「鹿島組(現:鹿島建設)」に、中国人など外国人986人が配属され、1944年7月~1946年3月のあいだに、虐待などで419人が死亡している。 私の祖母と母は、このような戦時中の中国人強制連衡事件に接している世代であった。戦争中、そして戦争直後も、これらの事件については、市から厳重に口外を禁じられ、祖母と母はそれを守るしかなかったが、母は私にだけはこっそり伝えていた。母親から初めて聞いたのは、私が被差別部落や戦争など、社会問題に関心を持ち始めた高校生の頃だった。 その母が、祖母から聞いたのは、10代の頃だそうだ。 以下は口頭で聞きとったメモであるが、祖母にしても母親にしても、今のように便利な記録媒体などもほとんどないどころか、私物まで検閲統制された戦争時代の話である。もしこの地区の話を詳しく知る方で、誤りなどを発見された方がいらっしゃれば、ご一報いただければ幸いである。(なお、本項は、当時を知る方に現在、さらにお話をお聞きしているので、いつか引き続き記録に残しておきたい)。 私の旧実家は戦前から魚屋で、朝鮮の部落(当時の呼び方だが、実際は雑居地帯に近く、「川向こう」などとも呼んでいた)と隣接した地域にあった。部落と実家の間には、当時まだ地上には桐生川が流れており、まさに、住井すゑ氏「橋のない川」と同じ構造を呈していた。 戦争中、極端に物資が無かった時代、絹の生産で経済が循環していたかのように見えていた桐生には、口伝で、中国・朝鮮の人などがその部落に集まり、住み始めていた。中にはロシアの人も数人いたらしい。何か生活できる手段があると思ったのだろう。比率的には、現在の北朝鮮の人々6割、現在の韓国の人々3割、白系ロシアや中国の人々が、1割弱くらい。 町名で言うと「浜松町」のほぼ全域と「川岸町」の一部。なので当時は、その地域のことを「浜」とか、在住する人々を「浜の連中」とも呼んでいた。連中というのは、現在とニュアンスが多少異なり、当時は、国内でも海外でも隣近所でも、頻繁に「連中」と呼ぶくせがあった。 また、その周辺の所番地や町名は、統廃合や地区変更などが繰り返され、当時と現在、まったく同じではないそうだ。 部落の人も魚を買いに来たりして、交流はあるが、当時は日本が中国・朝鮮へ侵略戦争を行なっている最中で、国内も軍国主義一色。表面的には普通に会話を交わしても、お互い、心のどこかにわだかまりがあって、心から打ち解けて話せる時代ではなかった。日本人も、当時の国や軍の方針に逆らえば投獄の上、親類縁者、隣近所にまで被害が及ぶという時代だったから、国の言うとおりにするしかなかった。 当時のどの家でも、部落には近づくなと、子供に言い聞かせていた。大人もめったに入ることはないが、粗末な作りの長屋が多い、雑居的な建築だったという。 祖母は、花柳界への仕出しだけでなく、事実上、朝鮮人向けの鮮魚店を始め、朝鮮や中国の人々が、頻繁に魚を買いに来るようになった。 その朝鮮部落の人々が、高齢者を除いた約50~60名、ある日突然、木炭トラックに乗せられ(戦争当時、ガソリンは無い)、どこかに連れ去られた。 1945年7月9日のことであった。花岡事件についてWikipediaでは以下のように書かれている。 日中戦争の長期化と太平洋戦争の開始にともない、日本国内の労働力不足は深刻化し、政府は産業界の要請を受け、1942年(昭和17年)11月27日に「国民動員計画」の「重筋労働部門」の労働力として中国人を内地移入させることを定めた「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した。[6]試験移入を行なった後、「一九四四年国家動員計画需要数」に中国人労務者3万人の動員計画が盛り込まれた。 鉱山労働力が不足した戦争末期には、花岡川の改修工事などを請負った鹿島組により1944年7月以降に現地移入した中国人は986人に上り、1945年6月までにうち137人が亡くなった。 1945年の7月9日には、日本本土空襲が行なわれている。ちなみに桐生市だけは、この本土空襲をなぜか免れている。(話はそれるが、中野区に居住していたある年配の人も、空襲を体験していないという。だいぶ前に江戸東京博物館の空襲地図で確認したところ、確かに中野区も空襲を免れていた。) トラックに乗せられたのは、名目としては、東北方面の炭鉱労働ということだった。しかし、連れ去られた50~60名は、二度と戻ることはなかった。この人たちの行き先は、「山形」と祖母・母は記憶しているが、もしかしたら当時で言う花岡炭鉱(現在でいう花岡鉱山)だったかもしれないという。 連れ去られた人たちは、強制労働の末に、100~200人の軍隊によって、穴をほって埋められた、という話が伝わってきた。処刑の理由は暴動を起こしたからだという。 仮に日本が戦争に負けた場合、数々の国内での日本の蛮行が他国にばれぬよう、口封じの意味もあったのではないかと祖母は考えていた。 主権在民・基本的人権を謳った日本国憲法のできる前の時代。ましてや部落に残された海外の高齢者(遺族ら)などが、とても異議申し立てできる時代ではなかった。 残された人々が亡くなったあと、約10年間、その地区は、空家のまま放置されていた。10年後、家々は取り壊され、区画整理されたあと、新しい町となり、新たに県外・市外の日本の人々が引っ越してきて住むようになった。 1945年(昭和20年)8月14日、日本政府は、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告。 1945年(昭和20年)8月15日、昭和天皇により、日本の降伏が国民に公表。 敗戦に先立つ、1945年(昭和20年)1月4日、私の祖父は、当時の魚商業協同組合の人たち数人と(魚屋出身で、のちの農林水産委員長、衆議院副議長、群馬県名誉県民の故・長谷川四郎氏ら)、近所で正月の会合を行なっていた。 その時、朝鮮と思われる人が、町で酒と称したものを売って路上を歩いてきた。当時は、戦争で、とにかく物資も食糧も何も無い時代だった。酒好きだった祖父は、その酒を購入、会合の席で飲んだ。その直後、両目から血液が噴出し、それを飲んだ人達は次々倒れた。その酒と称するものは、実はメチルアルコールだったのだ。祖母が言うには、「それが、朝鮮の人にできる唯一の抗議・復讐だったのだ」。 祖父はその後10年間、寝たきりの生活となった。当時は「中気(ちゅうき)」と呼んでいた。現在でいう脳血管障害の後遺症による半身不随、まひ、言語障害、手足のしびれなどのことである。 祖母・母親から聞いている朝鮮部落に関する話は、これで終わりである。 私は昨日、都内のある市民集会に行く途中、外国人追放デモなるものに遭遇した。 日本人だけを優とし、他の国の人々を罵倒・中傷したりする行為を耳にするたびに、残念に思う。 他国の人への誹謗を聞くたびに、やり場のない怒りがこみ上げる。 今の社会では、一部の人々が利益を得るために、人間同士の感情的な対立が巧妙に仕組まれ、それに多くの人が思考なく動かされるようになっているだけに過ぎない。 しっかりと社会の仕組みを見通す手段や方法、思考力が、子供の頃からたくみに吸い取られている。 国籍や生まれた土地などに関係なく、世界中の人間は、すべて、みな平等である。 (関連) ・群馬県薮塚・月夜野事件、群馬訴訟を支援する県民の会 http://suopei.web.fc2.com/index.htm 強制連行訴訟とは(上記ページより抜粋) 日本政府が国内の労働力不足を補うために、企業の要請を受けて3万8935人の中国人を強制連行、日本企業35社が経営する135の事業所で過酷労働を強い、6830人が死亡。 戦争被害の回復を求める訴訟が、全国で8件起こされており、その皮切りが「劉連仁裁判」。企業の責任を問う集団訴訟や、炭坑や港などの労働現場があった全国各地で強制連行訴訟は、東京・長野・群馬・広島・京都・新潟・札幌・福岡などで次々と起こされている。
by bunkaanime
| 2013-07-01 07:57
| 生活・歴史・社会
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