たまたま休憩中に昔録画した「日蓮と蒙古大襲来」(1958)を見た。
対馬・博多~鎌倉幕府間の移動(馬や兵の行進)が何度か出てくるのだが、九州方面←→鎌倉幕府というスクリーン・ディレクション(ラティラリティ)で統一されている。これらはマップによる潜在意識に拠ったものと思われる。
一箇所、海をバックに→方向に馬を走らすカットがあるが、これは、日本海側を通った、という解釈でよさそうだ。
元から蒙古が船に乗って、あるいは日本に上陸して攻めて来る構図も、元←→日本の方向性で統一されている。こうしてみると、日本は常に地図上では左方向が大きく空いており、他国から攻められる場合は→、攻める場合は←の方向性をとることが多い。これは、心理的に不安定感を与えるネガティブな→方向と、安定感を与えるポジティブな←方向と偶然にも一致している。古代において、一般庶民は地図上の無意識は持っていなかっただろうから、絵巻物との関連性はなさそうである。ましてや、エイゼンシュテインや、E・ティッセが提唱した楽譜や英文筆記の→肯定感との関連も持っていなかったはずである。
ただし、モンタージュやイマジナリィ・ラインなどの諸概念が公の形で日本に伝わったのは戦後のはずであるが、それ以前にも日本のは類似した表現自体は存在している。