明けがた、十分寝ていないのに目がさえてしまった。私はその状態を利用して久しぶりに夢の時間を計測することにした。15世紀ごろまではヨーロッパで目覚まし時計などで計測したという記録がある。
曲数・曲順・各曲の分数把握済みの音楽CDをかけながら、半睡時になるのを待つ。浅い眠りになり、夢の映像が次々現われる。夢の中の天候は、実際の外と同じ夢の法則通り「深い曇天」だ。私は窓をあけて曇天を見ていないが、きっと五感が気温・湿度・まぶたの光量などを察知し映像に変換しているのだろう。
浅いまどろみ程度なので、任意で覚醒できるし、また幕間には自然に目覚める。その時かかっている曲目と途中位置を確認する。それによると、今回はすべてリアルタイム(圧縮・ジャンプカットなしの1シーン1カット)で体験していたことがわかった。曲の位置から換算して、5分の夢もあれば、10分、15分、長いもので30分のものもある。夢の中で実際に10分なら10分間行動していたと感じていたが、実際にもそうであり、夢の時間と現実の時間の差異は無かった。今回は、約50分のCDを3回かけた。3回目の30分目あたりで完全に起きた。
その前の深夜の深い睡眠の時、以下の夢を見た。
*私は手を交互にして、指でカメラのファインダーを作りその向こうの被写体・対象(顔、誰かは忘れた)を見ている。ちょうど似たアングルを数日前、深作欣二監督の邦画DVDで見ていた。
私はもっと違う場所をその指のファインダーを通じて見ようと思い動こうとしたら指が動かない。目の前の両手は書き割りだったのだ。そしてその向こうの顔も写真だった。この時、実際の両手も動かなかった。この時神経は、夢の中の両手ではなく布団の中の両手に移行していた。夢の中からは睡眠中の体は直接操作できないのである。夢側は、安易な書き割りでその場をごまかして済ますつもりだったらしい。まさか私が対象をずらすと想定していなかったようだ。
自分の両手だと思っていたのは薄板に描かれた書き割り。その向こうの風景と人物は写真だったことが、自分が動いたことにより発覚した。