今回の騒動でJapaneseモブビルドの不改善の理由が、界内の無知と無関心にあることが記録として残された。約9割の人が政治に無関心なのである。これが改善を阻んでいた。今まではこういう非記述者以外の内的精神や感情は歴史上記録されることはまれであった。SNS普及がもたらした影響の一つだろう。
一方資本側とそれに追従する一部の界内プチブルは、結果的に政治経済の意識はなくともそれらによって被傀儡化されている。また、自称知識人らは、哲学は好むが、政治・労働・市民運動・左派運動は見てみぬふりし、安全地帯でぬくぬくと自分の生活を守っている。
暴力・環境破壊かDマテリアルか(99:1)の問題でいえば、自己崩壊化か知か(約80:20)であり、その知も政治や運動の歴史を否認するか唯物視するか(90:10)に分かれる。総合すると、暴力・環境破壊に抗する唯一の生命補助がマテリアルと知の融合であることがわかる。現在の安倍政権の非知性と、それに抗する市民の知識階級化されていないインディな市民の知的行動の対比と、歴代政権が子供や教育を標的に常に無思考化洗脳を行なってきた事実はあまりにも歴然とそれを示していて、敗戦70年の多くの理論を一気に塗り替えるかのごとくである。この転換点は311であることもきわめて象徴的だが、米大学の一実験から生まれたインターネット、米軍事目的に作られたパーソナルコンピューターを市民が活用したという経緯も履歴として重要だ。